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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

伝統技術とハイテクの融合 How to mix up traditional technology with high-tech.

This is the one of possible answers.

I am living in Berkeley for 8 month now. Many of my friends here appreciated Japanese Foods, Animes, Hi-tech industry and so on.

But I think they are only surface of which they want to appreciate. The important element of them is philosophy which can make these products.

Actually, I myself appreciate Japanese life style as the best, though exportation from Japan will be very difficult. I think much of Japanese innovative technologies and cultures
come from the philosophy embedded in Japanese life style.

These photos of houses uploaded here have typical features of Japanese philosophy for technology I want to give high estimation. Highest technologies are mixed up with knowledges of long tradition and fit well to the natures around them. You can guess something from these pictures which one of Japanese local home builder show their products.

Each countries have own good points to be appreciated. I think Japan can and should proud of this philosophy than surface phenomenon like Japan animation or Japanese car industry or other features. i think Japan can truely contribute to the world by this philosophy. In US and globalised society, many hi-tech products and variety of cultural elements come in to our life. Then how to mixing up them will become one of the key points for making up our modern life.

Link:Houses producted by Naito-Zaimoku Company
http://www.maidonaito.com/cn25/pg138.html

MSDESGN
http://www.ms-design.jp/portfolio/

リンクの内藤材木店は浜松の材木屋さんですが地元で家も造っています。
わが家もこちらとMSDESIGNの建築士の伊藤先生に造ってもらいました。
大手じゃないので、年間に施行できる数、施行可能な地域などにも制限があるとは思いますが、こういう職人的なこだわりのある会社が地元で見つかる日本の地方都市は最高に恵まれていると思いました。

3年ちょっと(私は今年はアメリカなので2年ちょっと)住んでみて、今私のいるアメリカの住宅やライフスタイルと比べてみて、改めて評価したいポイントに気がついたので、思想として抽象化したいと思います。
それは、私としては「先進技術と伝統的な知恵と周囲の自然環境の高度な融合」として評価できる思います。
この評価は、日本が(日本だけが、とは思いませんが)世界に貢献できる、そしてすべき、哲学に通じていると思うので、英語で紹介しておきます。

ほんとうは、日本の人びとがもっとこういう点を意識化して自信をもって、自分の持てる力として、これで世界に貢献すべきだと思います。
そうすれば、日本も世界もどれだけ良くなるか(と思うのですが)。

昨今の日本のメディアでは、諸外国からの評価を内面化して、自国文化や技術、社会を誇ったり卑下したりする記事が目立つ気がします。
「英語教育」「ネット右翼」「国際競争力」といった、危機を煽ったり、自尊心に閉じこもったりするもろもろの議論に、自分の足下が見えてるのかなと非常な危うさを感じています。

アメリカに来て思ったのは、日本のグローバル化を推進する人たちは、いったいどのような社会を構想しているのか、ということです。
まさか、アメリカ社会の実情を知った上で日本をアメリカ化しようとしているんじゃないよね、と。
国際的に通用しているランキングや数字は基本的にアメリカを強く見せるための戦略的・表面的なもので、それにびびってそれを追いかけるほど、社会はアメリカに政治的、経済的、文化的に従属し、スポイルされること請け合いでです。
各社会はそれぞれ固有の美点を有意味な総合として持っていて、異文化から自分にとって意味のある美点をうまく学びつつ自分自身を育てていくことが肝要であって、別の社会の、しかも美点ですらない表面を追いかけるのはナンセンスとしか言いようがない。

だが、そのナンセンスが、日本社会の、いや、バークレーで諸外国からの留学生たちからも感じるには、たぶん世界的な、大勢のようです。

実を言うと、アメリカが全部ひどいわけではないが、アメリカのすばらしい点はランキングや諸処の数字で表現されているところではなく、もっと別のところにあると思います。
たとえば、「センス・オブ・ワンダー」や「オープン・マインド」につながる、素朴な生命力・共同性のようなもの、そこを的確に見て評価していくのは意味があるように思います。
しかし、アメリがでっちあげたランキングを盲信し(たふりをし)て、自国で威張り散らすのだけは、もうやめにしてもらいたい。

こういう地味な考えを言葉にし、思いだけでなく思想として総合的に組み上げていき、社会に生かしていくのは仕事だと思っていますが、ネットでも大学行政でも学界でも、状況はじつに厳しいと認識しています。
ジャーナリズムだけでなく学界も含めて、情報の高次利用によって言説がバブル化している中で、経験に基づく言葉を社会的にも個人的にどうやって育て、現実化していけばよいのか。

もしかして、私がもっと若かったら、きっとアメリカ、バークレーの文化に同化し(ようとし)て、こういう問題意識を持つには至らなかったかもしれません。
いったんはアメリカに全面的に、全力でYES!と応えることにも意味はあると思います。
でも私は、すでに長く日本で生活し、一定の社会的役割や責任を負っていて、じっさいに学生を育て、自分の子供を持って、将来の日本社会を現実的に考えてしまうわけです。
なんとか、社会的にも実効的な動きを工夫して生み出していきたいと思います。

具体性がないですが、一応、こんな方向性を2015年の私の新年の抱負にしておきます。