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【哲学2016】 第四回 「柔らかい角」から現実性を考える

哲学2016  「現実性」について 

現代はリアリティを持ちにくい時代かもしれない。アイディンティティ論は、伝統的文脈から切り離されて孤立化した現代人が「自己」を見失い、不安になりがちであり、メディアや商品、最近ではITメディアでの「他者」や「コミュニケーション」にそれを求めがちであることを指摘する(リースマン「他者志向」、バーガー「私化」論、ボードリヤールの「消費社会」と「シミュレーション」論、ギデンズの「脱埋込み」と「存在論的不安」論、昨今の「キャラ化」論や「オタク」論)。現実感とは、自分自身がこの確かに存在するこの世界にいるという感覚である。自己の確かさ、世界の確かさのどちらが失われても、現実感は損なわれるだろう。

IT技術は、バーチャルなインターフェイス、バーチャルなシステム、バーチャルなサービス、バーチャルなコミュニケーション、バーチャルな他者を提示する。そこでは、現実とバーチャルの区別は難しい。さらに、現代はIT技術がディスプレイを離れて、スマホや時計等の身の回りの品々、コンビニで購入され消費される商品から、町角やオフィス、店舗などの不動産、自動車や電車等の交通機関などに侵食する時代である。

その善し悪しの判断以前に、われわれの現実感が大きく技術と社会によって挑戦を受け、揺らいでいる時代であることは間違いない。

現実感にとって、世界と自己意識を結ぶ役割を負うと考えられる「身体」の重要性は大きい。今回は、『蟲師』「柔らかい角」から、身体と現実感覚について考えよう。

具体的な内容は、当ブログBlog2735の昨年2015/5/12(火) の投稿を参照
http://blogs.yahoo.co.jp/blog2735/56781190.html
また、その前後の記事から、用語の説明を見ておいてください。

【哲学2015】 日本の思想 3 現代  Blog2735 2015/5/12(火)
「現 実性」 メディアや情報技術の発達した現代社会では、何が現実で何がそうでないのかが分かりにくい。その分かりにくい「バーチャル」な領域に、判断、意 思、欲望、幸福など、人間存在を規定する多くの要素が基礎を置いている。「現実性」をどう評価するのか、どう認知するのか、どう管理するのかなどが現代人 の社会実践において、現代の社会づくりにおいて問われている。

「身体」 人間の身体は人間にとって現実である。なぜなら身体によって人間は世界に位置づけられ、身体の停止・崩壊が人間としての存在の停止である「死」 であるように思われるから。身体は、人間存在が近代の想定した純粋な精神ではない「不自由」「物質性」をいみするとともに、単なる物体として扱えないこと で人間存在の「特別さ」を意味する。認知科学では、世界と交流する身体のあることが人工知能にはない認知を人間に可能にしているともされる。

「言語・情報」 言語は知性の媒体であり、社会で共有される。言語は、知識を個人の観念の世界から、社会的に可視化したことで、人間の普遍性を疑うこと、 知識の共有や社会的マネジメント、ネットワーク的なあり方へと道を開いた。また、コンピュータとネットの発達によって、知性から人間存在の個別性や身体性 を切り離す試みもある。一方で、哲学や倫理学では、解釈の問題、沈黙の意味、言葉の身体性といった面への注目がある。

【哲学2015】 日本の思想 2  「哲学の基本概念1」 
Blog3735  2015/4/21(火)

「存在」 あるということ。世界の中にあるものは、本当にあるのか。「錯覚」や「想像」とどう違うのか。存在者は、自分自身で存在していて(「実在」)、消滅しないもの(「実体」)なのか、あるいは何か別のもの、例えば光、感覚、人間の意識、あるいは神などによってはじめて存在しているのか。色、痛み、コップ、自然の秩序などの存在をどう説明するか。「存在しないものは存在できるのか」=「無」の存在は可能なのか。「存在論

第一回、第二回レポートについて

物語の要約と思想の抽出を中心に提出してもらってきた。要約は、ただ要約するのではなく、抽出する思想を導くために必要な特徴をよくとらえて要約するとよい。さらに言うと、抽出する思想は、自分が検討あるいは展開したい思想に関係する形で、その足掛かりとなるように、思想をまとめると効果的。つまり、自分の発想は物語をきっかけにして思いついたり深まったりしたかもしれないが、レポートとしてまとめる際には、遡行的に表現して、出来レースのように、自分の考察に引きつけて物語を紹介するわけだ。昨年度の私のブログの記事は大いに参考になるはず(私がうまく書けていればですが。。)。今回は、そんな観点を入れて(まだ途中ですが)評価しています。さらに言うなら、自分の思想の立場から再度、物語を観て自分の思想を再検討するというプロセス(以下、繰り返し)を経ることで、思想はますます深まっていくことでしょう。

また、幅を広げるという意味では、ほかの人の考察に触れるのもよい機会だと思います。参考になりそうなものをいくつか、名前は伏せて、紹介します。自分の考察と比べてみると、自分の考察の特徴や課題などが見えてくるでしょう。