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日本の思想 14 自然と言葉  『蟲師』「山抱く衣」より

【哲学2015】 日本の思想 14 自然と言葉  『蟲師』「山抱く衣」より

哲学史に沿って哲学の基本概念や考え方の典型などをざっと概観した後、「作品から哲学的に考える」 に挑戦してきました。本日は最終回。私自身の哲学的課題にも関わるテーマで行きます。20世紀の哲学では、言葉の問題に焦点がありました。私自身も、言葉が人間の生活や社会づくりにとって、重要なファクターであると考えています。では、言葉の何かポイントなのでしょうか?

国民国家が国語を統制する、グローバリゼーションと共に意味の平板化が押し寄せている、情報化によって言葉が機械的に処理・管理されるようになる、コピペによる学習・知識・創造が問題になる、それを脱構築する、方言にこだわる、SNS上で日記を書く、現代的な公共圏を構想する、現代人の物語とアイディンティティと考える、などなど。言葉と権力性、言葉と創造性、言葉と人間性といったテーマが、哲学だけでなく、社会学、人類学、歴史学、文学だけでなく、社会情報学や総合政策などの学際分野でも注目されている。私は、「誌上シンポジウム 危機と人間」(『静岡大学 情報学研究』19巻、2013)で、震災復興に寄せて、「危機の時代とリアリティに基づく言葉」という考察を提示した。危機の時代と言われる現代、人間や社会は、危機において自分自身の言葉を失いがちであるが、それはよくない。自分自身の経験や歴史に基づいた、リアリティを持つ言葉にこだわることが、危機を乗り越えたり、復興につながる態度だろう。私はそう考えたのだ。

蟲師』「山抱く衣」(原作5巻、アニメ18話)は、主人公が、「産土(うぶすな)」とされる故郷の風土的要素こそが、創造性を支えていると気づく物語である。
その哲学的根拠は物語中では示されていないが、私はそれを言葉や思考の問題と考える。故郷の、自分自身がそのコンセプトを獲得した経験から切り離されて、移住先の芸術創造のゲームを巧みに順応することは可能に思われるかもしれない。だが、それは目先のことであり、真の創造を生むことはできず、長い目で見ると自分自身を病んでいくという思想である。

こういった思想の系譜ははっきりしないし、慎重な検討はまだ行われていないのだが、いくつかの思想的源泉の可能性を挙げてみよう。アリストテレスの経験主義にはじまり、現代では民主主義を「タウン」という経験的単位に基づけようとしたトクヴィル、自分の言葉にこだわり続ける人々の多数的共同体を構想したアーレント、「風土」から人間存在を考える和辻、実在に意味の源泉を見ようとした「アフォーダンス」論のダーウィンギブソン、そして、私の解釈する「像の理論」や「言語ゲーム」論のウィトゲンシュタインらである。

今年の授業では「日本的思想」を授業のテーマとしたが、私自身は、哲学において、あまり「日本」にこだわる必要はないと思う。だが、自分にとって意味のある思想をそれぞれが紡いでいくことが大切だと考えるとき、伝統的な哲学から、現代の社会思想まで、西洋発のコンセプトをそのまま受け入れるのは、特に歴史や風土、コミュニティや社会といった文脈で考えるとき、哲学をつまらないものにしてしまうのではないか。そういうわけで、この授業では、作品から考えるということ、そして日本の思想を考えるということを通して、自分自身を支えている思想を捉えなおすということを試みたのである。