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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

実感が先か概念が先か

愛を実感したことのない人には「愛」は理解できない。
そういう思いを持ったことはありませんか?

こういう場合、往々にして自分の一方的な思いを「愛」として相手に押し付けていたりするもの。
それはともかく、やはり実感抜きに愛が理解できることはないのではないだろうか?
だから、ひとは愛をまず実感し、そしてそれを条件に「ああ、これが
「愛」なのかー」と思って「愛」を理解する、そういうわけだ。
だから、なんでも実感が大切なんだよ! まず実感からだ、と言うは易し。

でも、「愛」の概念を知らずに愛に相当する経験をすることができるだろうか?
たとえば、母親が赤ちゃんに愛情を注ぐ。赤ちゃんはお腹がすいて泣くと母親が急いでミルクをあげる。
赤ちゃんは、そこで泣くといつもの人がやってきてお腹が満たされるという経験をする。
たぶん「空腹→泣いてしまう→決まった人が来る→いろいろあって→満腹になる」という経験を重ねる。
また、ほかにも似たような経験をたくさん積み重ね、その実感をいつしか、自己分析を通じて、なにかこれは一つの名前を必要とするようなまとまった実感だったかもしれないと思い始め、そこにサリバン先生のような人から「そうです。それが「愛」なのです」と言われ、すべてを「母の愛」として理解する。
そういうことってあるだろうか?