blog2735

Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

『バーバー吉野論』(ネタバレ御免) 2


この物語は、身の回りにある社会構成による社会的支配

に気付いて、団結してそれを変革せよ、それは可能だ、

というメッセージをまず想起させる。しかし、これはあ

まりにありがちであると同時に、作品中にこうした読み

から逸脱する展開が多々用意されている。



しかし、考えてみよう。町の美しい風景、町の大人の子

供への配慮、子供たちの商業主義からの自由さなどを考

えると、変革の必要性は必ずしも自明ではない。むしろ

、「東京(的な外部社会)」に取り込まれて、美容ビジ

ネス、性の商品化への道を安易に踏み出してしまってい

るかのようにも見える。では、伝統を喜んで棄てていく

日本の近代化に警鐘を鳴らすことが、この作品のメッセ

ージだろうか。



「伝統が伝説になる」と表現されるラストシーンでは、

子供たちの髪型は現代的なものに変わり、かつ子供たち

と大人との配慮の関係は維持されている。「カタチ」は

変わっても「大切なもの」は変わらない。すると、一連

のイベントを通して、子供たちそして大人が、変わるべ

きでない大切なモノがあるということに、視聴者と共に

気づくという物語と見ることができるだろう。伝統や実

在と変化の調和の物語である。



すると、この作品は、日本の近代化・現代化に対して、

神のゑ町をモデルにして、批判ないし希望を見いだそう

としているのかもしれない。例えば、日本は確かにアメ

リカナイズが進んでいる、ここで大切なものを失わない

ことは不可能ではなく、それが重要である、という具合

に受け取ることができるだろう。



「髪型」は不自然であり、人為的な社会構成であった。

だが、その意味していたこと自体は無意味な社会構成で

はなかったと言えるだろう。守るべき大切なモノとは、

町の自然や歴史、実在に埋め込まれた、町の人々の暮ら

し、配慮し合う人間関係である。髪型はその象徴、記号

としてこの町では機能していた。ひとびとは、一連のイ

ベントを通して、こうしたことに気づいた。



神のゑ町は、このあとどうなっていくのだろう。大人と

子供の互いに衝突しつつも配慮し合う態度、町への愛着

、そして「伝説」となったイベントの共有は、希望であ

ろう。他方、外的な商業主義への脆弱さは悲観的な展開

を予想させる。数年後、神のゑ町は、東京に遅れた誇り

のないただの町になっているかもしれない。そして、こ

の問いが、作品を通して作者が私たちの社会へ問い掛け

ている問いそのものではないだろうか。