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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

「中道的国際化」  International House Berkeleyのアプローチより

8月の中旬にInternational House Berkeleyという寮に移り住みました。3月までここで生活です。

ここでは数百人の院生を中心とした留学生、やや少数のアメリカ人学生、よりマイノリティにはなりますが、ポスドク、私のような客員研究員などが住んでいて、国際的な相互理解、ネットワーク、リーダシップの育成といった趣旨で設立・運営されています。長い歴史と自律的な運営力を持っていて、住居を提供するだけでなく、UCの提供する学問的機会と呼応しつつ、上記の理念に基づいた機会を提供しています。リベラルを標榜するUCバークレーの中でも最もリベラル志向の強い組織の一つと言えるでしょう。

大学に近く利便性を考えてここに来る寮生もいるし、UCBとI-houseの文化や理念に共感して集まってくる寮生もいます。私もその一人です。

オリエンテーションと1週間ほどですが、生活してみて気づいたこと、経験したことから「国際化」について、いくつかアイデアを挙げてみます。

日本でも相変わらず、最近特によく言われていると思います。「国際的な相互理解、ネットワーク、リーダシップの育成」。これ実現するというのは、はっきり言って簡単ではありません。日本では国策ともなっていますが、どこの大学でもかなり苦労しているのではないでしょうか。I-houseはそういった課題と真剣に向かい合ってきた歴史を持っていて、それはもちろん苦労の連続だったと思われますが、いくつかの非常に興味深い方法やプロセス、成果を有していると思います。

ひとつは、しくみです。大学や文科省の管理下で、ころころ変わるその思惑に振り回されるのではなく(ただ、例えば第二次大戦中には敵国となった日本人学生を国策に従って強制収容所に送らねばならなかったのは、少なくともI-Houseにとって屈辱的な歴史となっています。Remenber Concentration camp。)、自律的な理念と運営体制が確立されていること。北大でも部活動のOB会の力で部員のための寮が独自の理念と方針で運営されていました。このようなしくみは、ある理念や文化の持続的な維持・発展のためには非常に有益なシステムだと思います。行政などに頼り切らない、自律的なアクターによる協力的な教育活動として、教育をめぐるガバナンスの一例と言えると思います。国際化もやはり、急に「上?」から言われて進むものでも、他の国と比べて焦って進めるものでも、一朝一夕でなるものでもないと思います。これについて、いまは特に議論はありません。国策で急速に進めたい人は、「明治維新の成功」をモデルに考えているのかもしれませんが、多分私とはいろいろ解釈や状況判断が違うのでしょう。

つぎに、これもしくみといえるでしょうが、多くのイベントや情報提供、空間や時間をまじめに用意していることです。「まじめに」というのは大事で、「国際交流」と叫んでいるけど、いつどこで交流するの? というケースが日本では多いと思います。面白いのは、ホールやロビー、ダイニングなどで、空間や時間を自主的にシェアできるように配慮されている同時に、イベントなどではちょっとしたインターカルチュラルな違和感・共感・そして意見交換の体験がこれについてはI-Houseの企画室(Program Office)から提供されていることです。単に放任と言うだけでなく、放任時間に自主的に自分たちで考える機会となるようなプログラムの提供、というのは、なかなか難しいバランスだと思います。管理誘導か自由放任かの二元論ではなく、その相乗効果を狙っていくというのは悪くない方向性ではないでしょうか。これは二元論に硬直しがちな日本の大学人は、それぞれの大学事情(資源や取り組み、方針など)と照らして、改めて考える価値の大きい問題かと思われます。

最後に、仕組みではなく文化ですが、オリエンテーションに参加するメンバーの意識の確かさというのがあります。すでにインターナショナルな意識が極めて強い人がマジョリティであって、リーダシップをとります。そもそも、そのライフヒストリーがインターナショナルな波乱に満ちた人が多いということ、そして院生以上が中心で彼らはすでに大学文化に強く触れているのの自ずと国籍にこだわらず物事を考えたり議論する意識を共有していることが指摘できます。そして、そういった文化に魅かれて集まってきたメンバーだから、というのがあります。これは、もちろん一朝一夕には実現できないことです。

私の主張は、一朝一夕ではできないことなのだということを、しっかりと認めること。そのうえで、持続的にがんばるしかないというものです。海外に門戸を開き続けること、誇りを持って学問と大学特有の文化を守り育てること、そしてそれをしっかり世界にアピールして持続的・再帰的に成長することです。

本当に国際化すべきだと思うなら、腰を据えてじっくり取り組めばよいし、本気じゃないなら妙なスコア稼ぎの政策は止めて、別の仕方で生き残るように考えた方が良いと思います。文科省というか、日本社会の本音はどうやら後者にあるように感じていますが、これって読み切れるものなのかどうかも分かりません。

私は、とにかく、ずいぶん以前、たぶん20年以上前から一貫してじわじわ国際化の立場なのですが、とにかく急進的立場からは馬鹿にされ、保守的な立場からは煙たがられるので、何だか損な立ち位置だなと感じることがあります。自称「中道的国際化」派としておきます。ただ、帰国するころには立場が変わっていたりして(それはそれで、私としては大歓迎なのですが、そうはならないだろうな)。