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哲学2015 『蟲師』2 「瞼の光」

蟲師』2 「瞼の光」

 スイは目にマナコノヤミムシという蟲が入って盲目になっており、倉に閉じ込められている。だが、盲目であるがゆえに、第二の闇というべき静かな暗闇のなかで蟲の世界をみることができる。しかし蟲を見つめすぎると、目玉を喰われてしまう。ギンコが訪れ、瞼に棲む蟲を退治し、スイは世界を見ることができるようにする。光を失うことで見える世界、そして光を得ることで失う蟲の世界の美しさが余韻として残る物語である。

 近代世界を創った啓蒙主義の運動は、「光で照らす運動(英: Enlightenment)」である。この物語では、近代の人間が文明を持つこと、あるいは言葉を持つことで失った感覚、存在者、価値などの存在について考えさせられる。それは、自然や人の心の中に静かに存在している「魂」や「価値」、「バランス」のようなものかもしれないし、他者との親密な交流やコミュニティのリアリティ、祭りや文化などを支える「共感」や「場」のようなものなのかもしれない。
 それを感じるためには、光をただ表面的・物理的にさえぎるだけではなく、心理的な瞼を閉じて、静かな長い時間、そしてある種の孤独や不自由を経なければならないという思想がこの物語のメッセージであろう。また、実際の社会で盲人として生きている人、あるいは何らかの原因で社会から隔離され、静かな時間を過ごしている人々は、文明化した社会中で忙しく、健全に、生活して人生を送っている人々に見えないものを見て、感じられないものを感じているのではないか、そしてそれはむしろ人間の生命や魂に近いものなのではないかという指摘として見るなら、この物語を文明批判の可能性として受け取ることができるだろう。

-----レポートより---------------
作品を鑑賞した学生からは、「蟲」=魂、生命そのものという解釈、不安や異形性、病気、タブーといった社会的にネガティブな現象、闇や現代人の失ったものという近代化からの視点での解釈があった。
作品全体としてのメッセージとして、二つ目の瞼を閉じた蟲の世界について、これを避けるべき恐ろしい領域と見る向きと、現代人が失った大切な世界と見る向きがあった。

私にも、これらの解釈は、作品のある思想を捉えていると思われるし、日本の思想のある一面に触れているように思われる。