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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

浜松市の自動車優先主義-2

なぜ「遅れている」のか?


特定企業や有力者の意思がこの町を支配しているのか、また自転車や歩行者冷遇もそのお方の意向なのか、その結果として、あるいは単に、この町の人(私自身もその一員)の意識が全体として遅れているのか? 私には分からないけれども、つまりはここが「田舎」なのだと思う。

浜松は「田舎」か


「田舎」という言葉を、人口や人口密度や行政機関の有無でなく、ガバナンス的見地から、統治文化・様態によって理解しよう。西洋では、市民による統治によって「都市」が成立した経緯がある。だから、都市とは市民による統治文化の形成されている町という意味がある。これと対比して、単に支配される統治文化しか持たないところを「田舎」と呼びたい。(議論のため自然あふれる場所しての「田舎」→「田園」とでもしておく、とは区別します。)

都市には広場があり、市民はそこに自然に歩いて集ってくる。そこは快適な交歓の場所なのだ。そして、広場に面してカフェがあり、モニュメントがあり、花屋がおり、旅行者もまたくつろいでおり、市庁舎(ガバメント)がそしてまた教会が見えたりする。市民はここで雑談し、情報を共有し、政策から宗教問題まで論議し、時に意思を固め、意思表示する。市民による革命は広場から起こる。

考えてみよ。浜松にそんな場所があるか? そして、本題にもどるなら、そもそも市民が歩いて町に出てくるか? 歩いて快適か? 情報交換し、さりげなく合意形成し、時に声を上げる場所があるか? そんな市民の声によって政を行おうとしているのか。市役所の前には駐車場と幹線道路。これが都市なのか? 否。これは田舎だ。

ざっとこんな道筋で、浜松はその自動車優先の市政性格によって都市ではなく田舎であるということになろう。このような浜松が政令指定都市になるとしたら、「政令指定都市」の性格がどのようなものになっているのかも分かるというものである。

提案:浜松市(市民)は「都市の格」というものを、市民による統治という観点から根本的に見直しましょう。まずはこのブログにでも書き込んでガバナンス論演習に参加しましょう(なんてね)。まず自分の町の中を足を棒にして歩き回ることからはじめるべきだと思う。ガバナンス論演習の次回は、「町を歩けなくなるまで歩いてこの町の市民として町に提案すべきことを見つける」にしたいけどダメかね?