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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

ブログ炎上と倫理

今日の演習で「ブログ炎上! 君ならどうする?」みたいな話があり、これに触発されて一筆。

先生による分析のヨシダによる解釈

・炎上させられるエントリーは、非常識・非道徳・非合法を誇る内容
・炎上させるのは、公共的正義感のつよい(+α?)野次馬な人々
・そういう炎上的コメントはちょっと問題があり無視するのが最上
(以上、傾向としての分析)

私にとって面白いのは、ブログ炎上をいわば「倫理をめぐる争い」としても見れるかなという点。お金やリスクが絡まなければ倫理が省みられることのないこのご時勢、なんだってブロガーたちは倫理をめぐって熱いお祭りなんぞしてるの? まるで魔女狩り

手近な疑問から問題を手繰っていこう。

ブログ・コミュニティでは倫理(あるいは正義)がずいぶん強く共有されているということなのだろうか? もしそうだとしたらなぜだろうか?
また、もしその倫理がオフの世界ではそう強く発揮されることがないのにブログの世界では正義感としてつよく発揮されるのだとしたら、どういうことだろうか?

私なりのスケッチを一つの仮説として示してみよう。
倫理とは暴力に対する盾であると同時にそれ自身暴力の道具となりうる。他人のブログを炎上させる人々は意図してか意図せずしてか、暴力への分水嶺をどこかで越えている。ブログは、倫理が暴力に転じやすい構造を持っている可能性がある。
匿名であること、一対多という非対称の関係、サイバースペースという現実世界と融合しつつも一種の虚構性をもつ場であること、などは、分水嶺を低くしている要因なのかもしれない。

そしてこの仮説を踏まえての次の問いは、果たしてそれは倫理なのか、「正義感」は正義だったのかというものである。
もしこの問いが否定によって答えられるなら、ブログにおけるルール作りは自律的には形成不可能であるという結論を導くような気がする。

とするなら、そしてまたブログが一定のルールに則ってはじめてパフォーマンスを発揮するツールであるとしたら、ブログとは入会時に個人情報の提出となんらかの誓約や契約を取り交わす形式を必要とする場であることになるだろう。

以上の危うい綱渡りの結論は、mixiや会員制の電子掲示板などの哲学を支持するものであろう。

これは私のお気に召さない結論だ。だが反証するにはもう紙面が尽きた。
この結論の立証は、この結論が好きな人がいつか呈してくれることを期待しましょう。