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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

あなたにとって「倫理」とは何か?

「思想と行為」第一回でこんな問いを出して、紙にコメントしてもらったので、二つほどの論点にコメントします。

「倫理には決まった答えがない」
これがいい、という人と、これが嫌いだ、という人がいて面白いですね。
確かに、倫理の問題には決定的な答えはないように思います。
「それは人それぞれ生き方の問題だから」、そう言ってしまえば確かにその通りだと思います。ですが、その点をもうちょっと分析してみます。

「答えがある」ということは、自分の出した解答と照合することのできるものがあるということでしょう。
例えば、答えとして仮説を立てて、それと実際を照合することで、その仮説の正しさを確かめます。
倫理の問題については、「Aは善い」と仮説を立てたとして、実際にAが善ければ、その仮説は正しかったということになるでしょう。
ところが、実際にAが善いのかどうかの判定は、仮説「Aは善い」によって仮説的になされるしかありません。
おそらく、こうした理由で、倫理の問題には決まった答えがないのです。
仮説の正しさは、確実に認識されるものではなく、最終的には「決断」するものであると思われます。

ですが、目くらめっぽうに決断するのは倫理学的に見て、間違っているということもできます。
例えば、矛盾した仮説を支持することは何を支持しているのか理解不可能(で無責任)という意味で却下されるでしょうし、仮説同士の連携がうまくいってる(説明ははしょります)なら、それだけその仮説は有効に働くことが期待できるでしょう。また、人間や社会の本性を無視した仮説は、実際にはあまり有効ではないでしょう。

こういう意味では倫理に答えがないというわけではない、これが私の解答です。
つまり、倫理学は決断をサポートする学問という側面を持っていることになります。

「道徳・法との違い」
私の見解を簡単に述べておきます。
法は社会によって明示的に定められた規範、道徳は暗黙の規範。
これに対して倫理は、なぜその法が必要なのか、なぜその道徳が必要なのか、言い換えれば、なぜそれが法なのか、なぜそれが道徳なのか、これを問題にします。
例えば、「弱いものをいじめてはならない」という倫理があったとして、ある国では、「動物の虐待を禁じる」という法があり、ある国では「学生は社会で守ろう」という道徳があり、ある社会では「学生は放っておいてもよい」という道徳になったりします。

どうでしょう?