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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

ゲームについて 相補性の原理

予餞会で、飲んだあと久しぶりにビリヤードなどのゲームを楽しんだ。
で、考えたこと。

情報学部に卓球台とビリヤードがあればいいのに。あとは将棋版と碁盤くらい。一応言い訳が必要かもな。学校はお勉強の場所でなくて、どっぷり骨の髄まで学問につかる人生の場所だと考えるから。まあ、そうしておこう。

最近はコンピュータ・ゲームが若者のゲーム文化をセッケンしている気がして私もメジャーなゲームをすこしかじってみたけれど、ゲーム好きの私は言いたい。やっぱり昔ながらの卓球、ビリヤードみたいなゲームのほうが面白かったかな。では、なぜか。

まず、上のリストから外したトランプとマージャン。これらはたしかに面白いけれど、「運」の要素が大きく、どこかラクで、だらだらと続けられてしまう。そうすると、質を高めていこうというゲームの内在的な面白さはなくなり、時間つぶしの要素が増えてくる。傾向としての話だが。

コンピュータ・ゲームがどうも退屈で時間つぶしに感じられるとしたら、それはコンピュータのせいなのかどうかはともかく、ゲームに運の要素が大きすぎる可能性が指摘できるだろう。さらに場合によってはクリエーターの恣意的なルールやストーリーが強く、プレーヤーの創造性や思考の発揮される要素が少ないのではないか。

商品としては、その方が売れるのかもしれない。ラクで、楽しめる。そしてすぐ飽きるから、次の商品を購入する。こうしてメジャーは堕落する。マンガや映画にも当てはまる? 

たかがゲームの話だが、これはけっこう重要な論点かも。常々、世の中がすさまじい勢いでコンピュータ・ゲーム化しつつあると感じていた。たしかに社会は多かれすくなかれゲームの要素を持っている。ただ、どんなゲームだとつまらないのか、どんなゲームだと面白いのか、そういう視点は大切だ。そして、今どんなゲームをどんな意図で設定しようとしている力が働いているのか。それを見極めよ。

情報学部だからこそ、いや情報社会だからこそ、既製のコンピュータ・ゲームにとらわれず、むしろそれを超えて「ゲーム」を考えよ。システムをどう見ることができるか。内部からクリエイティブに見ることができるか。そのシステムの可能性を探り、時には新しいシステムを生み出す力。
これは教室で知識を身につけ、家で商品化されたコンピュータ・ゲームをしていてもたぶん身にはつかない。

で、卓球台とビリヤードなんだけど。