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報道の中立性とコメンテーターの役割り

「そらいろブログ いちご味」ペルソナさんが面白い問題を具体的に提起していました。
便乗して私がとりあげたい論点は、事件などを簡潔に紹介していくニュース番組は、コメンテーターがあれこれとコメントをつけるニュース番組よりもまだ中立的と言えるかどうかです。

正直言って私には苦手な分野で、そもそもテレビを見る習慣を15年来捨ててしまっているので、自信を持っては議論できませんが、せっかくなのであえて対立意見を出してみます。

私の仮説は、「コメンテーターがべらべらと意見を述べる番組の方が、中立性のある報道である」というものだ。

コメンテーターが意見を述べると、この報道はそういう観点で提示されているのだな、という具合に、実は読者にその報道の解読のための情報を同時に与えていると言える。偏ったコメントをつけるコメンテーターがつくと、「ああ、北朝鮮批判の立場からか」とか「ああ、護憲の立場からの報道か」などと、どのようなコンセプトで映像が編集され、言葉が選ばれたのかを、むしろはっきり示すことになる。

したがって、受け取り手としては、別の立場のコメンテーターがついている報道番組と比較するとか、推測された政治的立場とは対立する政治的立場からの推測を加えたりして、中立的な視点のありかやバランスを推測することができる。

他方、「要点だけ」「短い映像」を表示というのは、事象の一面をほとんど解読の手がかりなく切り取って見せることになる。だから、受け取り手としては、解読コードなしに暗号を受け取っている状態に近い。これではバランスのとりようも難しく、中立的視点の推測も厳しい。

こうして、簡潔に要点だけを報道する番組の中立性はマユツバで、最初からはっきりと立場を明らかにしつつ報道する番組は(良心的なのか、意図せざる効果か)、受け取り手の立場からすると中立的な情報のありかを示していることになる。

ただしこの仮説は、コメンテーターが一貫性を持って偏っていること、映像や事実記述とコメントが統一性を持って方向性を持っていることが前提です。コメンテーターは好き放題支離滅裂に煽るわ、映像や事実記述の論点もあるのだかないのだか、というような状態では、議論が成り立ちません。

実際のところはどうなのでしょう?