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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

利潤と公共性、広告と公共的言論

利潤を求める主体は公共サービスを提供できないか? そうでもない。鉄道、通信、マスコミ、医療、他、企業や営利団体によって提供される公共サービスは多い。

広告が提示される以上、公共的な空間とはならないか? そうでもない。テレビ(民放)は一定の公共性を持つと言われるが、その主たる収入源は広告である。新聞や雑誌についても、程度の差はあれ、同様のことが言える。公共的な行事についても、協賛などの形で、企業等の広告が見られることもある。

だが、ここに問題が生じうることも間違いない。利潤追求や広告が公共性を損なう可能性はある。理由は言わずもがなであろう。

mixiがどのような意識で経営されているかは分からないが、メディアは何であれ、人と人をつなげるものであれば、多少は前エントリで述べたいみでの公共性をおびるだろう。アーレントハーバーマス的な公共圏概念から見ても、「外部性」(経済学)を考慮しても、少なくとも、市場原理だけでうまくいく領域であるとは見なし難い。

以下、私自身の見通しを簡単に示す。
私は、広告や利潤追求にも関わらず、あるサービスは公共性を保ちうると考える。

その鍵はなにか? 職業倫理である。
専門的職能集団の倫理綱領は、専門職としての自らの活動姿勢、水準、内容を、社会に約束し、代わりに専門職としての特権を社会、公共から認められるという一種の集団的な契約行為であると解釈されうる。

公共サービスを提供する主体は、専門職/一般職に関わらず、職能によってではなく立場によって、専門職の倫理と類比的な仕方で、公共に対して一定の特権と義務を負うことで、営利的主体であれ公共性を保持する主体となりうると考える。

その主体には、利潤は求めるが利潤がすべてではなく、利潤と公共性のバランスを社会的なコンセンサスを受け止めつつ自律的に保つ、そういう姿勢が求められる。その姿勢の根拠となる思考と意志を私はひとつの「倫理」として理解する。

社会の方にも、そのような主体をそのような主体として受け入れ、批判し、粘り強く育てていく姿勢や体制が必要なことは、私のビジョンにおいては言うまでもない。

参考:
新聞労連民放労連日放労 3委員長座談会
http://www.shinbunroren.or.jp/kouen/kouen3.htm
攻防「ニッポン放送」(上) メディアを買収合戦にさらすな
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/84/koubou001.htm