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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

「伝統を伝説に変える」 『バーバー吉野』の視点

補講は広々とした化31教室にごく少人数で行いました。
私は前日この作品を見ていたにもかかわらず、さらに深く荻上ワールドに感銘を受けました。多少ストーリーに言及しつつ言葉化してみます。

この作品では、露骨に2つの系列が対比されます。
吉野刈り系列:「伝統-大人社会-体制-管理-従順-よい子-去勢-弾圧-吉野刈り」
反吉野刈り系列:「都会-ギャング-反体制-逸脱-抵抗-悪い子-性-逃亡-反吉野刈り」

表面的な構図はこうです。都会からの転校生が体制的な田舎の町に現れたことで、反体制の系列が活性化し、相互に連結し、顕在化してきて、ついに「革命」を起こす。

しかし荻上さんは、反体制側に視点を固定して、革命の達成感を描いたり、体制の暴力性を描き出そうとはしません。むしろ、体制側と反体制側の連帯とほころびを、丁寧に、共感を込めて描いていきます。描き方は非常に細やかでさりげなく、解釈の喜びが刺激されます。
見る者の視点は、基本的には吉野刈りに反逆する子供たちを、共感を持って追いかけることになります。そして、彼らと共に、彼らを取り囲む、バーバー吉野や村の人びと、学校といった、体制の深い愛情や優しさを感じつつ、子供たちの抵抗と逃亡、反逆を応援することでしょう。

この作品のうまいところは、登場人物が一人一人生き生きしていることです。本物っぽいというのでしょうか。いかにもヒーローとかいかにもヒロイン、いかにも悪者、いかにも賢者、のような人物は一人もいません。皆が、あるいみふつうの平凡なひとびとでありながら、物語において大きな役割を果たし、ごく自然に時代を動かしていきます。
観る者は、そこに強いリアリティを感じると共に、そのことによって逆に自分の平凡な現実の生活が、じつは体制と反体制、愛情と反発をめぐるドラマであり、歴史であり、伝説であることに気づくでしょう。

登場人物の一人一人が生き生きしており本物っぽいことは、一人一人実存の輪郭が鮮やかだということです。一人一人の存在の根が深く、他ととうてい交換不可能な確かさで、存在しているということです。物語の主人公ほどつまらないキャラクターはないということがよくありますが、ヒーローはある種のタイプを典型的に演じなければならないがゆえに、その役を典型的に演じられるどのような存在とも交換可能な、薄い存在感となりがちなのです。

現代人はメディアを尖兵とする「体制」の作り出した物語の中を生きています。授業では社会構成という呼び方をしましたが、多かれ少なかれ、メディアの作り出す「成功/失敗」、「幸福/不幸」、「勝ち/負け」、「イケてる/イケてない」、「上品/下品」、そして「男/女」、「強/弱」、「美/醜」の物語の中を生きています。その中で、役割を演じれば演じるほど、その人の社会的に認められる「個性」が形成されればされるほど、その人は交換可能な「キャラ」となり、その存在は薄くなっていきます。
物語が作り出す人物とはそういうものです。

その点、『バーバー吉野』の人びとは、それぞれがそれぞれの譲れない根っこの信念や意志に基づいて、いわば勝手にぶつかったり妥協したり、協力したり、動かされたりしながら生きているため、見ていてもぜんぜん安定した物語が予測できません。物語の流れを決して逸脱できないハリウッドのヒーロー、ヒロインたちとはぜんぜん違うのです。

そのいい加減さによって、彼らはまさに物語を作り出す人物として精彩を放っているのです。体制-反体制の構図を、実存主義によって、無意味化しているわけでもありません。体制の意味を再解釈して、脱構築によって抵抗しているのでもありません。信仰や芸術、倒錯や逃避によって、超越するのでもありません。
彼らは、体制-反体制の構図の中で、自らの意志で生きることで、新しい物語を生み出し、伝統を伝説に変えていきます。この作品の中でその生は、確かに輝いています。

その生のスタンスこそ、荻上さんが、バーバー吉野の女主人であるもたいさんに託してこの作品で表現したかったことではないだろうか。交換不可能な、確かな自己存在。体制を超越しない、体制-反体制の磁場のなかにある実存。

ふと感じたが、ハイデッガーでなくアーレントと言っているようだ。しかも、公私の区別を基本とする教科書的なアーレントではなく、なにやら吉野刈りのナチスとプラスチックなアメリカとの間で居場所を求めるアーレント

固定し硬直した物語はないが安定した場がある。体制か反体制かの二者択一ではなく自然な予定調和。言葉ではなく無言のガバナンス。ヒーロー/ヒロイン的な我ではなく、ただの我たち。

荻上さんっていったいどんなひとなんだろ。いったいどんな感知力を持って、この時代この社会に何を見ているのだろう。もたいさんって何者なんだろ。

という感銘を受けました。