blog2735

Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

来年度の全学共通科目「哲学」に寄せて

来年度の、共通教育の「哲学」は、前期1本、後期1本の計2本。
シラバスを書いたので、それに寄せて。

政治思想に焦点を当てて、古来からの政治思想のテキストの議論の紹介と検討を行なおうと思う。思想史の講義の標準的なスタイルの一つだ。
専門教育ではないので、あまりつっこんだことはできないが、ある程度テキストを意識することで、生きた思想の生の力を感じることができれば、ただ流行言葉で表層的に社会を描くのとは異なる視点をもつことができるだろう。
そういう意味では、野心的な試みと言えないこともない。

「哲学」の授業は、哲学という学問がカバーする領域の広さゆえ、かなり自由に授業設計ができる。教養科目だから、あまりつっこんだ専門的な話はできないが、専門教育のように、どうしてもこれは伝えなければという限定はすくない。
僕としては、この授業を、ただ学生にサービスするだけの授業でなく、自分にとって新しい領域を勉強し、切り開いていくのに利用しようと思う。
その意味で「哲学」の授業は、自分で好きなことができる楽しみのある時間である。

いつか、浜松は「哲学の辺境」だとこのブログに書いたが、それだけに、このまちで哲学の講義を続ける必要があると思う。
もっとも、大学がもっと市民に開かれた場所にならないと、静大の講義もこのまちでの活動ということにはならないが。

大学をもっと開かれたものにするための、2年間の教員生活の中で考えてきたアイデア、提案もあるが、それは別の機会に書こう。
変わりに、「哲学」を含む共通教育に関連して、ひとつ不満をぶって、内輪の恥をさらすことにしよう。
美名の下に隠す必要のないことを隠して内部の誰かに押し付ける「日本的風土」のような組織ではおかしいと思うので。

私は、他にも「リアル、バーチャル」を1/3本、「科学者の社会的責任」1/2本、を担当する。おそらく、これは教員一人あたりの担当としては、多すぎる気がする。そこで、問題意識が喚起される。

浜松キャンパスでは教養教育を受ける学生数に対する人文社会系の教員数の比率が、静岡キャンパスに較べて圧倒的に低い。そこで、格差が生じる。しかし、それを是正できていないという不作為が、問題として論じられるべきだろう。
あんまり不公平だと、同じ舟の仲間のはずなのに、と信頼関係は揺らいでしまう。

静岡キャンパスと浜松キャンパスの格差の問題は、この大学が総合大学としてまとまってやっていく以上は、非常に大きな問題だ。
教員の負担もあるが、学生の選択肢という意味でも、浜松キャンパスの人文社会系の教養教育をもっと充実させる必要がある。
格差には、すぐに是正することが可能な点もあるし、もちろん難しい点もある。しかし、問題が覆い隠されていると、対処が納得のいくものにはなりにくい。できるだけ格差と問題を顕わにして、できるだけ合意できる対処方法を探るという姿勢が、まずは大切だろう。

「哲学」という授業を担当することは自分にとって確かに嬉しいことでもあるが、それと、上の問題は別である。
解決に向けて学内世論が高まるとよいと思うのだが。
学内ジャーナリズムがあればねぇ。。