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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

『すばらしき新世界』池澤夏樹、中公文庫 書評

一、二週間前に書いたのだが、ガバ研wikiの方にうまくアップできなかったままになっていた。ひとまずここに挙げておきます。
授業で池澤の別の作品を紹介しようとしたら、学生が「またー?」。一つのことしか考えられないもので、すみませんね。。
-------------書評-------------
風力発電のエンジニアを通して、神々が住むというネパールの奥地を舞台に、文明論を考える物語。ハックスレーの同名の古典的物語が逆ユートピアSFなのに対し、こちらは現代の日本社会とネパールに密着したルポ的な模索。その背後に、「資本主義」「技術文明」と戦い続けてきた環境NGOの成果と挫折があって、それを一種のガバナンス論の方向で解く可能性を示そうとする、悪く言えば優等生的な作品。
この作品のポイントは、物語を紡ぐ主人公が、家庭を持つ一人の優秀だが平凡な企業エンジニアであることだろう。企業エンジニアは、企業の一員であると同時に、その専門性によって、企業の枠を超えて普遍へとつながっている。そのエンジニアが、参加と協働、承認というガバナンス的磁場の中で、一番初歩的で具体的なことからひとつひとつ自分で直接確認しながら、堅実なエンジニアらしく決してその範囲をはみ出さずに、資本の論理や国家の論理に流されず、自分の関わる範囲でのテクノロジーの正しい方向をめざして一歩一歩進んでいく。そして、その「健全な」姿勢によって、現地でのガバナンスとしても、日本での企業人としても、家庭人としても、エンジニアとしても、最適解を見出し、実現していく。
ハックスレーの向こうを張った割には、ずいぶんと都合のよい楽観主義的なストーリー展開だが、人間の欲望や社会権力のすさまじさ、他方で運命の過酷さ娯楽としてしか表に出てこない牧場社会では、その淡々とした展開がむしろ「リアル」に感じられるのかもしれない。ただ、それが単に「リアル」に感じられるというだけでなく、主人公の解がそれなりに魅力的に映るのは、おそらく物語の節々で現代日本におけるプラスティックな「魂」の貧困を指摘しつつ、これと対比させた主人公の行動の動機に「魂」への配慮というネパール的な契機を入れて説明としたところだ。
だが、この「魂」的な要素と「資本主義」&「文明」的な要素が、物語でうまく融和されているかどうかについては疑問だ。思想的には、科学技術と宗教が類比的に説明されることで、健全な科学技術は健全な宗教と同じように、調和的な生活をもたらす、というビジョンが読み取れる。チベット仏教とエンジニア倫理が、それぞれ魂の専門家とモノの専門家のモデルを通じて理想化され、相通じるものとされるが、そう単純化はできまいという気はした。
この作品のさらりとした展開の奥には、高度成長→公害→抵抗と連帯→挫折→告発型NGO→協力とガバナンスという流れを歩んできた団塊世代の怨念のようなものが、感じられる。戦前世代へとほとんど遡ることなく、むしろネパールの現在へと向かう目線は、戦争世代を否定した団塊世代のプライドなのかもしれない。もしも私が物語をまとめようとするなら、最後のシーンは、北海道でなく、まずもう一度沖縄へ、あるいは熊野とか、定番の京都をはさんで、自分自身のルーツに目配りしつつ、物語をサンドイッチ構造に閉じることを考えたい。それはともかく、沖縄、ネパール、北海道などをつかって「東京的なるもの」を相対化するという作品世界の構図は、ひとつの有効な視点であり、この作品はそれをうまく生かしたいい事例だと言えるだろう。