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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

情報社会思想2016 公共圏・ガバナンス・ネットワークと情報社会

情報社会思想2016 公共圏・ガバナンス・ネットワークと情報社会

第15回 多数性 『人間の条件』(アーレント)、『公共性の構造転換』(ハーバーマス)、『再帰的近代』(ギデンズ)、『ガバナンスとは何か』(ベビア)、『ボランティア』(金子)

きょうは最終回なので、まず成績、レポート課題について。

最終レポートの義務はなし。なくても、ここまでの平常の提出物でAまではとれるように採点する。

最終レポートは、出したい者は出してください。100点を超えない範囲で、また特に平常の提出物の評価が低いものは救済の範囲で評価する。

テーマ:授業で取り上げた話題について、私の紹介した思想のうちいずれかを取り上げ、これを批判的に検討した上で、自分の考えを述べよ。
分量:A4用紙で1-2枚。一般的なレポートのフォーマットに従って(参考:『論文の教室』戸田山。作成。主張が明確で根拠によって論理的に支持されている議論を評価する。)

評価期限:2月15日まで。
提出場所:情報学部3Fレポートボックス。

では最終回の話題です。
社会の情報化はいったい何をもたらしたのかについてのさまざまな思想を紹介・検討してきた。本日は最終回、これまでの思想を踏まえて、ではこれからどうあるべきなのかという姿勢で、あるべき情報社会の姿について、考えを展開してみよう。私自身の立場もかんたんに紹介します。検討、批判してみてください。

ここまでのさまざまな論点とキーワード
情報社会は、自由で創造的なのか(ハッカー倫理)、あるいは管理・監視の過剰な社会(監視・管理社会)なのか
情報社会は、共有と助け合いの空間(コモンズ、オープンソース)なのか、個人化した空間なのか(デイリーミー、動物化
情報社会は、理性的な公共圏(ネチズン論)なのか、あるいは欲望の空間(消費社会)なのか
情報社会は、均一化・無個性化した空間(「自己」喪失、フラット化、複製技術時代)なのか、個性が過剰・豊かな空間(キャラ化、マルチチュード、多数性)なのか
情報化はバーチャル化(記号消費、シミュレーション、社会構成、AI、VR)なのか、リアルの展開(第3の波、バーチャルコミュニティ、ソーシャル・ネットワークユビキタス)なのか

情報社会のサービス、権力、生活、アイディンティティ、主体などについての考察はしてきたので、前回論じたの「フラット化」から流れで公共圏について検討する。
公共圏は、市民に開かれた、共有の、議論のスペースであり、その社会の民主主義的な運営を支えるための言論を涵養する場のことである。この場を、ハーバーマスは権力から自律した批判的かつ市民的合意形成のための理性的討議の空間と捉え、アーレントは欲望から切り離された言論による相互承認の人間的・実存的な空間と捉えた。この観点では、情報社会は、権力や欲望の支配に対して自律的な、自由で創造的、理性的、共同ないし協働的、個人が尊重されるリアル志向の空間としての公共圏を保証し、これを中核として形成されることが望まれるだろう。

近代 市民中心主義 個人主義

現代 国家中心主義 集団主義

情報社会 市民中心主義(国家と協働) 集団主義(個を尊重する)

90年代以降 ガバナンス、マルチチュード、市民セクターの成長 情報化、NPO、ボランティア、ハッカー、フリーカルチャー、シェア文化、Webなど
私としては、こうした流れがボトムアップというか、上下のない相互に専門性や特殊性、責任や正統性、当事者性などを尊重し合う、ネットワークを形成し、これがうまく機能する社会を形成していくことにつながっていくことを期待します。どう考えても、トップダウン式のヒエラルキー組織・社会だと面白いアイデアや活動はつぶされてしまう。そのことを考えても、プラットフォーム化やフラット化・均一化の進む情報社会においてコミットメントや面白さを保つ上で、ネットワーク型に期待するべき理由になるだろうと思います。

現在:安倍、トランプ、習など、独裁型リーダーの復権? 強いガバメント・トップダウンか?

ハーバーマスの公共圏:合意形成を目指した理性的討議の空間
アーレントの公共圏:言論による相互承認の実存的な空間

吉田の構想する公共圏:物語の共同的形成:民主主義と実践を導く、理性よりは共感原理。

時間が余ったら、NHKの映像で、地域再生のガバナンス的な活動に取り組む公務員の紹介を見て、ガバナンス的・ネットワーク的な活動のスタイルや可能性についてイメージしてみたいと思います。