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Yahoo!ブログ閉鎖によりYahoo!から移行しました。吉田の講義、考察などを書いていきます。

3-10 感想

生き残れる人数が7人に限られている状況を仮定して、10人の中から死ななければならない3人を選び出すというスリー・テンゲーム。10人( 銑)は、それぞれ、(杆郢痢↓ぅ廛蹈汽奪ー選手、有名な小説家、╂顕蹴惻圈etc.と役割を持っている。

昨年度のコメントと同じことを今回はここに書こう。私のコメントは、サトウ先生の出題意図とは角度が異なっていて、横やりみたいなものだが、私自身の演習と講義の観点からは、どうしても言わなければならない気がする。

サトウ先生も、「生む機械」論にそっと?言及されたが、なぜこうも簡単に、ガバナンスの授業を受けた学生のみんなが、優生学的独裁主義者になってしまうのか、という驚愕。私の講義と演習の成果について、私は泣きたい。

たとえば、これは一例ですが、私の解答を見て考えてみてほしい。

・生き残れない3人(の名前):名前は決定しない。当事者である10人の合意によって、または平等なくじ引きによって、当事者によって選出される3人。

・選んだ(特定の人を選ばなかった)理由:今日の演習では、一つだけ「くじ引き」を提案したグループがあった。そのグループのコメントにもあったが、肩書きだけで人を価値付けたり、生命を云々できない、というのは倫理の基本であり、私の同意したい立場だ。昨年度と異なり、この意見が一つのグループで合意され、発表の場まで出てきたことは嬉しかった。(クラス全体での討論があったとしたら、この意見はさらにクラス全体の流れを変えただろうか?)

ただし、私は当事者に委任されたのでないかぎり、当事者だけが決定に参加できるべきだと考える。そこで、仮にくじにするとなったとしても、当事者でない限り、くじは「引かない」状態にとどめるべきだろう。もし、どうしても「3人を選べ」というなら、ルールには「特定の」という指定はないから、くじを引かない状態で「不特定の3人」を選出するしかないと考える。

さらに言うなら、くじにするべきかどうかも当事者の決めるべき問題であろう。ガバナンスの参加と包含の原則からしても当然だし、さらに自分自身が当事者であったら、当然そうあるべきだと考えるだろう。

とにかく、自分自身を勝手に安全なところにおいて、深刻な問題に直面している10人を対象と見て、勝手に決定して運命を決定するならば、それは「ホームレス問題」の二の舞だ。
以上、受講者に同意は強制しないが理解と配慮は求めたい。